山号と本堂

西方寺は山号を草鞋山(そうあいざん)と号します。移転再興された室町時代、現在の西方寺附近一帯が「草鞋野(わらじの)」と呼ばれていたことに由来します。

また、現在の本堂は元文五年(1740年)に一度焼失し、宝暦七年(1757年)に再建されたものです。


開基と移転再興

西方寺は、聖武天皇神亀年間(724年~729年)に行基菩薩によって多聞山(現在の若草中学校付近)に創建されました。

室町時代永禄二年(1559年)、戦国武将松永弾正久秀が多聞城を築くにあたり、正親町天皇の御綸旨を仰ぎ、東大寺の僧祐全上人によって万物万霊の菩提を弔う寺「南都総墓所」として現在の地に移築再興されました。


御本尊阿弥陀如来(国重要文化財)

御本尊阿弥陀如来坐像は平安時代の高僧慈覚大師の作と伝えられ、国の重要文化財に指定されています。また、阿弥陀如来の両脇の観音菩薩立像、勢至菩薩立像は鎌倉時代初期の作で、阿弥陀如来を含めた三尊は少なくとも室町時代の西方寺再興よりこの地でお祀りしています。


祐全上人(市文化財)

納骨堂にお祀りしているのがこの寺の移転再興という大事業をなしとげられた中興開山祐全上人です。東大寺の僧であり、西方寺第一世住職となられました。等身大の坐像は宿院仏師の作で、ヒノキの寄木造りで像内に上人の遺骨が納められ、奈良市の文化財第二号に指定されています。


地蔵菩薩と当麻曼荼羅

納骨堂の正面須弥壇には、平安時代建立の地蔵菩薩立像をお祀りしています。

また、その後ろには江戸時代作の当麻曼荼羅を掲げています。


みてござる観音

舟橋通りの入り口にある曼荼羅坊の屋上に、境内墓地に葬る御先祖様を見守る「みてござる観音」が祀られています。左手に蓮の華を持った観世音菩薩立像です。


茶室空庵と書院

西方寺の庭に空庵(くうあん)という茶席があります。第二世祐範上人の創建、その様式形態は洛西の苔寺にある茶席湘南亭と同じ小庵好みといわれ手摺つきの露台が附属している事、その露台の屋根裏が土天井である事、正客が、下座につく下座床である事等に特徴があるとされています。元文五年(1740年)に火災で焼失したものを、昭和四年(1929年)に総代井倉宗苔氏により復元されました。


蓮池

毎年5月にはカキツバタ、お盆の時期には蓮の華がきれいに花をさかせます。


墓地

墓地の面積は1200坪あり、檀信徒の皆様によって、いつもきれいにおまもりされております。


倶会一処(合祀墓)

本堂の西側に位置し、永代供養墓として多くの方をお祀りしています。


花塚

昭和五十九年(1984年)に奈良市内の花愛好の茶華道連盟と花商組合の方々によって、花の霊を慰める為に建立されたもので、毎年秋11月に花供養法要が勤められます。


銀杏(いちょう)

樹齢450年を超すといわれるイチョウの大木は、室町時代の西方寺移転再興時、中興開山祐全上人が火難・水難等一切の厄難からこの寺を護れかしとの悲願をこめてお手植えになられたと伝えられています。

毎年11月の十夜法要には、御本尊にお供えした銀杏を厄除銀杏(やくよけぎんなん)として参詣者の方にお配りしています。


萬葉歌碑

檀徒豊住謹一さんより奉納されたもので、萬葉学者犬養孝氏の揮毫により、山上憶良の「子等を思へる歌」が刻まれています。

平成六年(1994年)の除幕式には歌碑前で自ら独特の犬養節で詠われました。


手向の鐘

墓地の南西にある手向の鐘は、お参りの際や除夜の鐘として皆様にお突きいただいています。


宗旨と主なる佛事法要

西方寺は南無阿弥陀佛の御教を宣布する道場です。南都総墓所としての御綸旨をかしこみ、形式的な宗派というものにはあまりこだわりません。心の中でお念佛を喜ばれるお方であるならば、どなたでも西方寺の檀信徒となって頂けます。

年中行事としての佛事法要は1月14日の修正会(しゅしょうえ)、2月15日の涅槃会(ねはんえ)、春秋の彼岸会、6月18日の開山忌、8月16日の盆施餓鬼(ぼんせがき)、11月14日のお十夜等があります。また、浄土宗祖法然上人の御遺徳を讃仰する御忌(ぎょき)、そして五重相傳という特別法要を数年間隔でお勤めしています。


その他什物

・釈迦涅槃図(室町時代芝法眼作・掛軸)

・地蔵十王図(李朝時代・掛軸)

・六歌仙(橋本関雪作・襖絵)

・菩提樹に極楽鳥(岩崎巴人作・襖絵)